ガーゴイルの知られざる歴史/History Of Gargoyle

12月 13, 2017 uimmade 0 Comments

Photo on Visual Hunt
パリのノートルダム寺院やヴェネツィアの聖マルコ寺院はヨーロッパ有数の観光地です。
カトリックの聖地であるという事が大きいですが、そういったヨーロッパの歴史のある寺院やお城、大邸宅の屋根に目を向けたことはあるでしょうか。
ゴシック建築の高い先頭によく目をこらすとなにやら奇妙な怪物が口を開けているのを目にする事が出来ると思います。


これらは「ガーゴイル(Gargoyle)」と呼ばれ、屋根の雨樋と建物に近く悪魔から身を守る魔除けの役割を果たしています。
恐ろしげで意味ありげな形態とは裏腹に、ガーゴイルはかなり実用性を伴うものなようです。

そんな、不思議なガーゴイルの歴史に関する情報を記事を交えて紹介します。



10 Fearsome Facts about Gargoyles | Mental Floss


13世紀の西欧にガーゴイルは多く広まりました。彼らは屋根に溜まる雨水を運ぶ雨樋の役割として作られましたが、彫刻職人のいたずら心を満たす気晴らしにも作られたようです

ガーゴイル(gargoyle)の名はラテン語でのどの意を表す「gurgulio」が名前の由来です。
(日本語でも「ガラガラとうがいをする」なんて言いますから、感覚的にわかる気もしますね。)
ガーゴイルの形態は長い喉を表すイメージの彫刻として作られていたようですが、実はフランス・ルーアン地方の民話に登場する恐ろしい怪物ドラゴンをモチーフとしていたようです。

紀元前600年前後にこの街に現れたと言う怪物は、船を飲み込み、街に洪水をもたらし住人を苦しめていました。
そこで、ロマヌスと言う司教はなんとかしてドラゴンを退治するために、信者と街の人々と共に作戦を企てました。
ロマヌスは自身の十字架でドラゴンに催眠をかけて街外れまで導き出すことに成功し、そしてそこでドラゴンを火あぶりにしてしまいました。
ところが、その跡を見てみるとドラゴンの頭部だけは燃え尽きることなく残っていました。
街の人々は、ドラゴンの頭部を切断し、それを街の教会の外壁にくっつけることにしました。
こうしてドラゴンの頭は、他の邪悪な怪物を寄せ付けない為の魔除けの役割を果たすことになったのでした。

ガーゴイルは、魔物を遠ざける役割を持ったのと同時に、人々を恐れされる道具としても用いられました。

中世ヨーロッパの民衆の識字率というのは非常に低いものでした。そこで聖職者たちは、文字が読めずとも聖書の内容を民衆に理解できるような教会づくりが求められました。
それは、人々が送られることになるかもしれない「地獄」という場所がどんなに恐ろしい所なのかを伝えることも含まれます。
ガーゴイルは外界に棲む邪悪な怪物の象徴として教会の外壁に取り付けられることになったのです。そして、教会の内部、つまり聖域に入れば救われるという意も含まれました。

教会は、ガーゴイルを作成する際のモデルとしてその地域の異教徒に伝わる怪物も取り込んでいきました。自分達に馴染みのある怪物を目にすれば、異教徒でも教会に足を運ぶかもしれないという思惑があったのです。

ゴシック・リヴァイバルで再発見されたガーゴイル

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国ではゴシック建築が再流行しました。建築用語では「ゴシック・リバイバル」などと呼ばれる時代です。
この時代、ヨーロッパ世界ではルネサンス以前の自分達のルーツ、つまり中世以前の文化へ関心が高まっていました。
美術や文化が花開いた14世紀のルネサンス期以前の時代というのはいわゆる「プリミティヴ」な時代で、それまではどちらかというとその時代の持つ野蛮さや無知さにフォーカスが当てられあまり良いものとされていませんでした。(ガーゴイルもただ「グロテスクなもの」としか捉えられていなかったようです。)
しかし、時代が下りヴィクトル・ユーゴーが小説『パリのノートル=ダム大聖堂』、ジョン・ラスキンが建築論『建築の七灯』を著すと、「プリミティヴ」なガーゴイルはまた陽の目を見ることになりました。

今となっては世界一有名な(といっても過言ではない)ノートルダム大聖堂のガーゴイルは、ほとんどがこの時代に修築され、新しく作られたというのだから驚きです。

【おまけ】各国ガーゴイル写真集

オーソドックスなタイプ
おサル?悪魔?なんだかわからないけど不気味なタイプ
Photo by Dun.can on VisualHunt / CC BY
必死に吐き出す感じがちょっぴりカワイイ
Photo by xlibber on VisualHunt / CC BY
お尻の穴から吐き出す変わり種タイプ